体力をつけること

今年はじめに大切な友人の結婚式を目の前にかぜをひいてしまった。
それも40度近い熱が何日も続く大かぜであった。

結局1週間ばかり外出もできず家で安静にしていたのだが、そのせいで体力がほんとうに落ちてしまった。

私は日ごろ体力だけはあった方なのだが、食事もろくにとれず、なおかつ寝てばかりいたのだからやむを得ないことである。
やっとかぜが治ったと思い、1週間過ぎて友達に誘われて喜んで外にでかけていったのだが、しんどいのなんの、大した距離ではなかったのだが歩いた後で座り込みそうな自分を必死に抑えていた。

そしてその後ダンスクラスに行っても非日常的なその動きでのバランスがまったくとれず、少しみじめな思いをした。
そのダンスクラスにある大きな鏡がプヨンプヨンになった私の肢体を映し出し、こんな状態では体を支えることができませんよ、と訴えていた。

もちろんクラスに参加できたことは喜ぶべきことだったが、以前のように楽しめなくなっていた。
健康のありがたみは、失ってから知るとは言われていたものの、正直、ここまでとは。
人間の思い上がりというのは、想像以上にヒドイものですね、我ながら。

ようやく数日経過して、気持ちが前向きになり出したころ、体力が付いていくようになった。
気持ちが弱ると体力も弱るのだなと実感した出来事だった。

精神的にも体力的にも辛い練習が必要

世の中には、前向きに、ポジティブ思考で人生を思い切り楽しんでいる人たちがいて、その人たちのほとんどはとても魅力的です。
一方、ネガティブ思考な人たちは、どうしても魅力的には思えません。

私自身、昨日の自分よりも、ほんのわずかでいいから、成長していたいと感じていますが、実際それが出来ているのかと言えば、分かりません。
今のままではいけないという危機感だけが先走り、向上心や知識欲を持ったつもりでいるのかもしれないと、考えることがよくあります。
この状況を変えようと努力する行動力まであれば、いいのに、と思います。
自分が好きなことだけをして生きていけるわけではないので、人生の中で若干の妥協は必要かもしれませんが、やはり、好きなことをなんとか生かしていきたいなと思っています。
また、自分が好きなことというのは、必ずしも楽な平坦な道ではないでしょう。
好きだからこそ、突き詰めたいと思えば、険しい道が続いていることが多いのではないでしょうか。
たとえば、泳ぐことがすきで、それを突き詰めていこうと思えば、精神的にも体力的にも辛い練習が必要となってきます。
しかしながら、その困難な道を走りぬいた後に、自分の求めていたものがあるかもしれません。
例え、自分の夢が叶わなかったり、違う道を歩むことになったとしても、それまでの努力が消えてなくなるわけではありません。
何も目標を持たずに毎日を過ごしている方が、よっぽど実りのない日々でしょう。

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